記録部会の記録
取材班 NHKディレクター 岩本 周
○はじめに
2020年以来、今日に至るまで新型コロナウイルス感染症への対応を取られ続ける、奈良県立医科大学の皆様へ心よりの感謝と、崇敬の念を禁じ得ません。私たちNHK制作局では、「新型コロナウイルス感染症取材チーム」を早期に立ち上げ、2月のクローズアップ現代+(以下クロ現)で初めて取り上げて以来、数々の番組(NHKスペシャル・特集 等)を制作してきました。微力ながら私岩本もチームの一員となり、2ヶ月間という短い期間ではありますが、その一端を覗かせていただきました。
数ある「コロナ関連番組」の中でも、雰囲気を異にするのが皆様の奮闘を取り上げた「プロフェッショナル 仕事の流儀」です。余談ではありますが、岩本は当時「ガッテン!(ためしてガッテン)」という番組で「洗濯」や「靴下」など、生活に近い情報を科学的に解明し、生活を便利にしていく番組を制作していました。当然、医療については無知蒙昧。また皆様のように仕事に身命を賭する方の機微や、その思考は想像だに出来ていませんでした。皆様と過ごさせていただいた2ヶ月と少しの期間、ごくわずかな範囲かもしれませんが、知り得なかったご苦労や、その姿勢を拝見いたしました。
この稿では、そのことを知ったあの期間を経て得た物・少ない知識で工夫をしたことなど、恥も外聞もなく、余さずお伝えできればと考えております。ご迷惑をおかけした皆様にこの場をお借りして、お詫びとお礼、心よりの尊敬の念をお伝えできればと考えています。
①経緯
事の発端は武漢からやってきました。新型コロナウイルス感染症の発生を受け、岩本はNHK内のコロナ対応チームへ派遣され、クロ現の制作などに奔走していました。次いで、国内での人→人感染が確認され、瞬く間に全国に影響が広がります。コロナ取材班は局内で「隔離部屋」での業務を言い渡されました。今思えば多少滑稽ですが、日々おびえながらの制作だったことはお伝えすべきと思います。
取材を続ける我々以上に不安な日々を過ごしていたのが、情報の受け手である生活者の皆さん。「医療現場は今どうなっているのか?」「病院に行ったら感染してしまうのではないか?」など、情報の問い合わせなども受けました。でも、なかなか実態をお伝えできない日々が続いていました。当時「未知の感染症」だった“新型コロナ”は何が起こるかも分からないと、実情まで撮影できる病院もなく、我々自身も知り得ない情報だった為です。
「何とか病院に入り込めないか」。NHK全体が、医療現場の実情を伝えるべく躍起になっていました。
その中で私は、数年前、公私ともにお世話になった奈良県立医科大学へまず一報を入れました。
(細井先生をサイエンスゼロにて取材、両足の半月板損傷の手術を貴院で受け入院したことがあります)当時激動の現場であったでしょうに、厚かましくも細井学長へ相談、次いで笠原医師におつなぎいただきました。ある種、「平時」の今であっても、この迅速さには驚くばかりです。
そして忘れもしない4月7日。直接話を聞いて下さるという話を受け、奈良へ向かいました。「新型コロナウイルス感染症」という未知の病気と対峙する、医療現場の映像記録を残すという「共同研究」の目的の下、奈良医大の皆様の協力を得た瞬間でした。そしてそれは、2ヶ月にわたる取材の始まりでもありました。奇しくも緊急事態宣言が発令されたその日のことでした。
②取り組み内容・共同研究について
4月9日金曜日には、新宿にある国立国際医療センターの取材が控えていましたが、予定を変更。通常ならあり得ないことですが、当時どれほど重視されていたかがうかがえます。
岩本はそのまま大和八木で生活をすることとなりました。取材は感染リスクを下げる為単独。機材も含め、何も持っていなかった為、現地局奈良放送局との機材準備などに奔走しました。
そして4月9日から、取材開始。控え室までご用意いただき、そこを拠点に各現場でどんな対策が取られているか、皆様がどんなことを考え行動されているのか余すところなく記録していきます。
コロナと直接対峙する感染管理室や感染症センターの皆様を中心に据え、研究サイドの皆様や、整備の進むICU、透析、発熱トリアージ、PCRなど検査を担う皆様、総務の皆様、工事関係の皆様、各診療科の皆様・・・枚挙にいとまがありませんが、どなたさまにも絶大なご協力を賜りました。皆様の活躍の全容は、プロフェッショナルでの放送内容や、皆様の記録のとおりです。
残念ながら放送には至りませんでしたが、印象的だった記録取材があります。100人の方にお話を聞こうと、病院で働く方々にインタビューもさせていただいたことです。道行く方々に片っ端から声をかけ、思うところ・行っていることを伺いました。医療従事者(あるいはそれを支える方々)にも当然生活があり、不安や不条理のなか向き合う姿を垣間見ることが出来ました。
発熱トリアージの受付対応を行っていたある看護師の方は、「年を取った両親がいるから実家に帰れない」と仰っていました。曰く、「病院で働いてるんやから、感染させるかもしれず怖い」とのこと。他にも「家族と会わないようにしている」・「恋人と別れた」など。そこに見えたのは怯える生活者の面も抱えながら、何とか一般の生活者の方々の医療を維持するために、業務を遂行する姿でした。
このことを始めたのにはきっかけがあります。プロフェッショナルで取り上げることが決まった際、笠原医師に釘を刺されたことです。「誰かヒーローみたいな人がいて何とか解決するなんてストーリー、やめて下さいね。あり得ないですよ。感染症ってそんな分かりやすくて、かっこいい物じゃないですよ。」「もちろん分かってます」などとお返事をしたように思いますが、本音は制作者として、ドキッとしていました。
まったくそのとおりでした。取材を経て理解したのは、各担当の皆様が己の業務を全うした上で、不安や不満、改善点を提案し、解決していく姿でした。はじめ各々で進めていた既存の業務が壊れ、混じり合いながら再構築されていくその現場に立ち会うことが出来ました。番組で生活者の皆様に伝えたかったメッセージはここから生まれました。医療現場では、コロナだけでなく医療を保つために奮戦する全員がプロフェッショナルであるというものです。
当時最も怖かったのは、私が感染するだけならまだしも、奈良医大の機能を停止させてしまうことでした。当時の基準では笠原医師や、各科の主幹医師の皆様とも“濃厚接触”と判じられてしまうため、感染対策は徹底しようとしていました。レッドゾーンへ足を踏み入れないことはもちろんですが、人の撮影の際も近くに寄りすぎないよう、小型カメラやロボットカメラで撮影を行ったり、看護師や医師の皆様に撮影をお願いしたり、様々な工夫を行いました。このことは、実は制作チームとしては、本件で大きく進歩した部分です。コロナの感染拡大に伴い、NHKの科学チームではリモートロケが推進されていますが、ICUに設置させていただいたロボットカメラや笠原医師の頭に設置させていただいたアクションカム、看護師の皆様に撮影いただいたGOPROなどの手法は、病院での撮影はもちろんのこと、中継現場や、ガッテン!(現在はトリセツショー)などのライトな内容の制作現場でも感染拡大防止に一役買っています。
余談ですが、様々な対策を打っても不安はぬぐいきれず、今思えば無駄だったようにも思う対策も取っていました。衣服も毎日、全て洗濯。なるべく新しい服を着て取材を行っていました。
食事も、一言も話さずに空いている時間に調達、休憩時や休暇時は一人ホテルの部屋で過ごしました。
また、単独取材と書きましたが、実はアシスタントディレクターが1人、共に奈良へ入っていました。また、途中からはもう1人ディレクターも合流しました。ADの彼はホテルで1.5ヶ月ほどこもって撮影素材の整理。もう1人のディレクターは医療に明るく、外科など岩本が取材しきれない診療科を取材していました。彼らとの会話も、そのほとんどが電話やチャットで行われました。2人とも、奈良医大の皆様とはあまり顔を合わせる機会はありませんでしたが、実は心強い味方が待機していたのです。今思えば過剰な対策かもしれませんが、それでも日々不安と戦いながらの取材期間ではありました。
③終わりに
共同研究と銘打って走り出した本件は、のべ2ヶ月以上分の皆様の業務遂行の様子が記録されています。プロフェッショナルを始め、NHKスペシャル・クロ現・奈良のニュースなどでも放送させていただき、生活者の不安を緩和したり、不足する情報をお伝えしたことは大変意義のあるものでした。研究としても、また大きな意義のあるものと確信しています。細井学長が本件を受諾して下さった際に仰っていた言葉が記憶に残っています。「この研究が役に立つとしたら、次の感染症が発生したときや」。今もコロナの感染拡大は続き、多くの方が苦しみや苦労の渦中におられます。新型コロナウイルス感染症が一定の収束を見たその先にこそ、本研究の出番ではないでしょうか。皆様が悩み、苦しみながら対策を講じていったその様が克明に記録されたこの記録が、この先どなたか生活者の不安を取り除き、医療現場の役に少しでも立てることを切に願います。