整形外科学・臨床研修センター 講師 仲西康顕
【背景】
2021年の春から夏にかけて日本全国で、空前の規模で新型コロナウイルスワクチン接種が実施されました。
新型コロナウイルス感染症の流行が始まって約1年となる2020年末頃までには海外からmRNAワクチンの有効性が報じられつつあり、未曾有の感染拡大に対してワクチンへの期待が寄せられていました。一方でmRNAワクチンは初めて臨床に応用される新しい技術で、まだ国内の情報も不足しており、医療従事者間においても接種への不安を拭いきれない雰囲気が当時ありました。厚労省にファイザー社とビオンテック社のワクチン「コミナティ筋注」の承認申請が行われたのが2020年の12月18日、認可されたのが2021年の2月14日です。2月17日には国内で最初の接種が開始されました。
ワクチン接種はまず医療従事者、ついで高齢者の順番で開始されましたが、2021年1月時点の報道では「3月下旬までに65歳以上の高齢者に接種を行う」という政府の方針が伝えられていました。実際には、国民全体を対象とする大規模な接種を短期間に実施することには様々な困難があり、途中経過において政府の方針は「2021年7月までに65歳以上の高齢者の接種を終える」ことに変更されます。
2022年現在、多くの医療機関や接種会場で多くの人が新型コロナウイルスワクチン接種を受けることができます。しかし接種開始当時にはパンデミック下における大規模接種のノウハウが蓄積されておらず、当院では2021年2月10日に感染症センター笠原敬教授をリーダーとして、多職種でのワクチン接種のワーキンググループが立ち上がり、職員を対象とした接種が同年3月8日に開始されました。
【新型コロナウイルスワクチン接種に関する問題点と、ワーキンググループの取り組み】
本学では毎年、職員を対象としたインフルエンザワクチン接種が行われていましたが、今回の新型コロナワクチン接種とは多くの相違点がありました。以下はワクチン接種において求められた基本的な業務です。
- ファイザー製のワクチンは移送には-75℃での保存が必要であり、解凍後使用できる時間が限定される。また移送用のケースごとの管理が必要であり1ケースで195バイアル、1バイアルから5回分(後に注射器の改良により6回の採取が可能となった)が採取できることから、無駄なく集団接種するためには慎重な計画を要する。
- 生理食塩水で希釈後、0.3mLずつ注射器に充填する作業が必要
- V-SYS(ワクチン接種円滑化システム)への接種情報登録を必要とし、将来的にワクチン接種歴を証明するための情報管理が求められる
- ワクチン集団接種自体が感染の機会となることがないよう、換気され密を避けることのできる接種会場の確保と、被接種者の動線の設定が必要
- ワクチンの接種方法が皮下注射ではなく筋肉注射
- ワクチン接種は3週間の間隔を空けて2回接種する
- 副反応発生時への対応。特に接種直後のアナフィラキシーショックや血管迷走神経反射への対応
これらのタスクを実行するための問題点がワーキンググループ内で議論され、ワクチン接種に関するマニュアルが作成されました。初回のワクチン接種会場は本学の大講堂が使用され、受付、問診、接種、接種後の経過観察のための待機スペース、薬剤の準備を行う部屋などが決定されました。ワクチンの作用や安全性、副反応を生じた際の対応については、感染症センターの小川拓先生が科学的な裏付けに基づいたわかりやすい動画を作成し、オンラインでの共有や、接種会場での放映などの形で被接種者への情報共有が行われました。接種スケジュールの管理から、副反応が生じた際の対応まで、複雑な業務が多くの人の関わりで円滑に実施されました。(図1)
ワクチン接種は最初に医療従事者を対象として実施されましたが、その際様々な問題点が明らかになり同時に解決法が検討されました。それらの情報は本学だけではなく、全国の医療機関の間で様々なかたちで交換され、改善に役立てられました。高齢者への優先接種は2021年4月12日から開始されましたが、そのわずかな間に積み重ねられた知識は大きかったと思います。
【筋肉注射手技に関するマニュアル作成と公開】
日本では従来筋肉注射手技が大規模には実施されておらず、不適切な筋肉注射手技によって運動器に生じる問題について十分認知されていませんでした。私は整形外科医として、注射などによって稀に生じる問題を診る機会が多いことから、当初は当院の研修医向けとして安全な筋肉注射手技についてのマニュアルを新しく作成しました。(図2)
このマニュアルに対して全国から多くの問い合わせを頂いたため、本学臨床研修センターのwebサイトに公開しました(https://www.nmu-resident.jp/intramuscular.html)。質問に対する回答には可能な限り対応し、よくある質問についてはサイト上にQ&Aとして掲示しています。さらに根拠を明瞭にし、専門的な理解を助けるための論文を急遽執筆しました。この論文は査読の上、中部日本整形外科災害外科学会誌に掲載され、学会の厚意によってweb上にアクセスフリーでダウンロード可能としていただきました(https://www.jstage.jst.go.jp/article/chubu/64/1/64_1/_article/-char/ja)。
コロナウイルス感染やワクチンについては、様々な怪しい情報が飛び交っておりましたので、新しい情報を発信する際には全国の現場を混乱させることに躊躇もありました。その中でワクチン接種に関して多くの情報を発信している日本プライマリ・ケア連合学会の医師から連絡があり、ディスカッションの上で新しい筋肉注射マニュアルや論文内容について理解を示していただきました。医療従事者以外への一般接種が開始される前の2021年3月15日には、日本プライマリ・ケア連合学会より本学のマニュアルを反映した動画「新型コロナワクチン より安全な新しい筋注の方法 2021年3月版)」が投稿され、全国の医療従事者へ広く周知されることになりました。その結果、全国のワクチン接種会場で本学のマニュアルが使用され、手技に関する教科書内容の見直しも始まっています(図3)。
【総理の動き】
— 首相官邸 (@kantei) August 12, 2022
本日(8月12日)、岸田総理は、都内にある自衛隊東京大規模接種会場で新型コロナワクチン4回目接種を行いました。#新型コロナ#新型コロナワクチン
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従来の手技の問題点が急に指摘されたことで、戸惑った方も多かったかもしれません。メディアからも複数の取材があり「ワクチンを接種される人のポーズが変わったのはなぜ? 最近は腕を下ろすのが主流に(東京新聞 2021年5月26日 https://www.tokyo-np.co.jp/article/106666)」にその経緯の一端が記されています。
【研修医による大学病院内でのワクチン接種業務】
当院では、従来毎年の職員へのインフルエンザウイルスワクチンの接種業務には、医学部卒後1、2年の臨床研修医が参加してきました。今回、新型コロナウイルスワクチンについては、職員と学生約4200人を対象として2回ずつ、あわせて8400回のワクチン接種が行われました。接種業務前には、臨床研修センター内において研修医5-10人ずつ約30分を1回のグループとして、安全にワクチン接種を行うための手技について、解剖学的知識から触診などの実技指導を行いました。
【奈良県内自治体のワクチン接種業務への研修医派遣】
2021年4月23日、3回目の緊急事態宣言が発出され、同時に政府より7月末までの高齢者ワクチン接種完了を目標とするよう方針が示されました。全国の自治体は、突然の目標設定に騒然となりました。実際の接種業務は、奈良県ではなく住民票を管理する市町村が主体となるのですが、自治体によってそれを実施するための医療機関、人口や設備など様々な背景が異なります。人口の多い市町村では業務量が非常に多く、あるいは接種に協力できる医療機関が少ない市町村では接種に関わる医師を緊急に確保することが困難であり、何らかの対策が必要なことは明らかでした。
ゴールデンウィーク中に奈良県から、県内自治体のワクチン接種業務への研修医派遣の要請がありました。研修医の集団接種会場におけるワクチン接種業務参加は、その時点において全国で類を見ない取り組みでしたが(https://www.yomiuri.co.jp/medical/20210510-OYT1T50171/)、奈良県の模索する取り組みに対し、5月13日には厚生労働省から「臨床研修を受けている医師による新型コロナウイルスワクチン接種について」の指針が示され、制度的にも容認されることとなりました。当院だけでなく県下のすべての臨床研修病院がオンラインでの話し合いも交え、奈良県や市町村と連携して準備が進められました。緊急時に多くの臨床研修病院と県が各市町村と連携しやすかった背景には、毎年奈良県内の全ての臨床研修病院が県の医療政策局と顔を合わせて連携し、奈良県全体としてより良い初期研修環境を検討するシステムがありました。本学臨床研修センターのセンター長であり、奈良県臨床研修協議会代表の赤井靖宏先生や、奈良県医療政策局の新型コロナワクチン接種推進室、同局の嘱託医である次橋幸男先生が大変な業務量の中で、細やかに果たされた役割が大きかったと思います。(https://www.pref.nara.jp/item/248797.htm#itemid248797)
本学の中で職員を対象に行なってきたワクチン接種とは異なり、各市町村会場での接種業務になりますので、派遣される研修医には接種会場で起こりうるトラブルに対応する必要がありました。本学臨床研修センターでは、岡田定規先生から、接種業務に関わる研修医全員に複数回に分けて講習会が行われました。(図4)
さらに、各自治体の接種会場へは臨床研修センターの日浦係長、奈良県職員の松井さんと私とで可能な限り現地を訪問し、各自治体の担当者と研修医による接種で問題が生じにくいように意見の交換と調整を行いました。実際の研修医派遣に際しては、各診療科の指導医と研修医数人のチームを形成して本学から派遣する形をとり、オンラインのシステムを用いてスムーズに各接種会場についての情報を共有できるようにしました。私も指導医として自治体での接種業務に参加しましたが、外国語での対応を求められたり、暑い日には熱中症で倒れる人もいたり、予想しないことが起きることがあり、特に最初の間は気を抜くことができませんでした。
2021年6月と7月に奈良県下で行われた高齢者向けのワクチン接種業務に対し、派遣された県内の臨床研修医の総数はのべ1200人に及び、全接種回数の約30%を担当しています。(図5)
市民への研修医によるワクチン接種が開始される前に、橿原市や葛城市や御所市、広陵町などの接種会場を訪問し、各自治体の担当者と打ち合わせを行いました。
【最後に】
新型コロナウイルスワクチン接種業務は、さまざまな職種のスタッフの連携により成り立っています。おそらく職種の数だけ視点があると思いますが、今回私は臨床研修医を指導する立場として、その立ち上げの一端に関わることができ、緊急時における情報交換やルールづくりの重要性を実感しました。
臨床医としての視点から見ると、ワクチン接種は一般的に、被接種者にとって不安を伴うイベントです。現在、ISRR(予防接種ストレス関連反応)の概念や、それを回避するための知識が少しずつ普及してきています。様々な立場の方の考えを知る中で、ワクチン接種に限らず科学的に安全を確保し、安心して医療行為を受けていただくために何ができるか、改めて見直す機会となりました。
経営企画課
2021年に入り、新型コロナウイルスワクチンの医療従事者への先行接種が決まり、当院においても、院内で接種を進めることを病院部会で決定した。これを受けて、新たにワクチンWGを立ち上げ、ワクチン接種の実施方法を検討することになった。
院内の関係部署を集め、2月15日に第1回WGを開催し、ワクチン接種会場の準備やV-SYSへの登録業務、接種後の副反応対応等、接種にかかる種々の業務についてそれぞれ担当する所属を決定し、準備を進めていくこととなった。
その後も数回のWGを開催し、進捗状況や課題等を検討、調整を行い、3月8日からワクチン接種(1回目)を開始することとなった。職員約3,000人、委託業者等職員約700人、学生約1,000人の合計4,700人に対して、それぞれ2回のワクチン接種を3週間間隔で行う必要があり、当初は5月13日までの約2ヶ月間の予定で毎日約300人ずつの接種を行う予定でスケジュールを組んだ。ところが、国から県へのワクチン配送の遅れがあり、接種期間中にスケジュールの修正が必要となった。
また、職員及び学生において新型コロナウイルス陽性者が発生したことにより、接種期間中に2回の接種ができなかった学生や職員に対して、追加日程を組むこととなり、最終的に6月28日に職員、学生等の希望者に対する2回のワクチン接種を完了できた。
接種を行っていく中で、多くの時間を要したことは、ワクチンの配送の調整とワクチン接種者の管理であった。
当初、このワクチンについては解凍して5日以内に使用する必要があり、ディープフリーザーによる保管を行っていない当院においては、奈良県から配送されてからその分を5日以内に使い切る必要があった。接種予定者が当初設定した日程どおりに接種することができれば問題はないが、業務の都合や体調不良等により予定どおりの接種とはいかなかった。そのため、毎日接種終了時間の1時間前くらいに接種会場においてその日の接種人数を確認し、その日中に使用できるであろうワクチン数を推測した上で、ワクチンの希釈を行うといった調整を行う必要があった。また、それでもワクチンが余ることとなった場合には、各所属に連絡をし、その日に接種が可能な者を集めることで、ワクチンの廃棄を最小限に抑えるよう対応した。また、接種終了時においては、その日の接種実績を確認し、残りのワクチン数とその後3~4日の接種予定数を勘案した上で、週2回の奈良県からのワクチン配送数を調整することに多くの時間を費やすこととなった。
他には、予診を担当した医師、接種を担当した臨床研修医を始め、看護師、薬剤師、事務等様々な職種、多くの人員がそれぞれの本来の業務を調整しながら、ワクチン接種に従事していた状況にあり、新型コロナウイルス感染症対応のために診療制限を行っていたとはいえ、各所属における本来業務にかなりの負担を掛けていたことは否めない。
一方で、ワクチンWGを立ち上げ、最初に各所属の担当業務を振り分けたことにより、役割分担が明確化され、各所属が責任を持って担当業務を遂行し、その進捗状況をワクチンWGで集約することができたことは、今後の法人業務においても活かすことができるのではないかと考える。
その後、2021年の後半に入り、国において第3回目のワクチン接種の必要性の議論が始まり、第六波の到来もあり、急速に3回目のワクチン接種を実施することとなった。前回ほどの準備期間もなく、省力化も図る必要があったため、3回目のワクチン接種においては、会場設営や接種期間の会場運営などワクチン接種にかかる業務の一部を外注に委託することとした。3回目については、前回までの蓄積及びワクチンの解凍後の冷蔵保管期間の延長(5日以内→1ヶ月以内)もあり、2022年1月12日から1月27日までの間で、職員約2,500名、委託業者等職員約550名、学生約550名の合計約3,600名のワクチン接種を順調に完了することができた。